ちゃんはちのほあまし!

インターネット妖精のハチスちゃんが好き放題書きます♡

独白

  ぼくは昔からすぐに泣いてしまう。

 飼っていた生き物が死んだとき、ぼくの大事なものが人に粗雑に扱われたとき、自分を否定されたとき、自分が肯定されたとき、思い出したとき、思い浮かべたとき。兎に角涙もろいのだ。

 その度、一般的に男性はこんなことで泣かないという気持ちが膨らんで悲しくなる。両親は頭が固く、男女のことについては~はこうあるべき、例えばそう、男は泣かない、女は家事、男はスポーツ、女はおしとやかに、そういう固定観念を押し付けるとまでは言わないまでにしても、刷り込むように言い続ける人だった。その結果、中学生あたりになるまでには、ぼくは立派なACの卵、つまり、自分で物事を決められない子供になっていた。

 「わたしはこっちのほうが良いと思うよ」「それをやるならこっちにしようよ」

 ぼくにこどもがもしできたらできる限り言いたくない言葉。

 ぼくは外で遊ぶよりも、よく妹の人形遊びや一緒におままごとのようなことをするのが好きな子供だった。ぬいぐるみに名前をつけて、一緒に世界をつくりながらよく遊んだ。親はぼくがそういうのが一番好きなことは知らなかっただろう。一度だけ、父親が出張(旅行だった気もする)から帰ってきたときにお土産で買ってきたものの違いに辟易としたことは忘れられない。ぼくは当時好きと言っていたベイブレードよりもあのかわいらしい熊のぬいぐるみのほうが良かった。

 時が経つにつれて、妹とは遊ばなくなり、お互いの孤独を埋められずによくケンカしては一方的に殴った。親は口では怒るもののぼくを本当の意味で叱ってはくれなかった。ぼくは最低だ。ぼくは昔みたいに遊びたくて、寂しかった。妹には本当に悪いことをした、どれだけ憎まれてても仕方ない。今はただただ逃げたい。

 何を書くか決めずに書くのを始めてしまったから、長くなるし各段落で連ねた文がどういう意図をもって書いてるのかわからないと思う。ただ書いてるだけだから許してほしい。いや、そもそもぼくには読んでる人のためを思った文が書けない。ひとりよがりなのはぼく。

 自分の歴史を振り返ろう。読めばぼくがどういう人間かわかりやすくなると思うし、知りたくない人は読まなくていい。そもそもぼくがなんとなく書きたいから書くんだ。これを何かの間違いで最後まで読んで気持ち悪いと思う人とはかかわってもどっかで面倒くさいことになる。ぼくは見せて安心しないと生きていけない。

 ぼくが産まれたのは平成九年、三千グラム越えの大きな赤ん坊だったそうな。母子手帳を二年ほど前にみつけてみたんだけど、言葉を話すのが遅く発達障害が疑われていたのようなことがあったから、母親に聞いたら母子手帳は隠されてしまった。ぼくは本当のことが知りたいだけなのに。

 両親は共働きで、某乗り物の運転士の父親と、パートタイムで働く母親。いたって平凡な家庭だ。ぼくの記憶にない三歳くらいの間はとても可愛がってもらっていたらしく、写真なんかが残っている。

 四歳くらいの時に、ぼくは近所のおばさんに預けられるようになった。とは言っても、ぼく自身がその人のこと(今も親交がある、もう元気がなくて悲しいんだけどそれが人生なんだよね)を好きだから行きたいとよく言ったらしい。その記憶はあるし、今も大事な人だ。

 そのころの両親との思い出……父親は忙しい中、ぼくの好きな生き物の飼育や採集に付き合ってくれたのを覚えてる。母親はいつも忙しそうにしていて甘えなかった気がする。家族中はどうだったのか知らない、父親はあんまり家にいなくて、晩御飯の時とかはテレビもつけず会話もせず黙々と食べていた気がする。何を話せばよいのか、というよりも話して良いものなのかまったくわからなかった。

 幼稚園に入るぼく。母親やおばさんと離れるのがいやでよく泣いていたそう。なれたらそれなりに友達もできて、通えたそうな。いきなり殴ってきて、ぼくが泣いてるのを笑うやつがいたけど、ぼくは殴り返したことなかった気がする。砂場や木の下石の下なんかで、だんごむし、やすでなんかの虫をプリンのカップなんかに入れるのが流行ったなぁ。おけらが見つかったときに、ぼくだけが知ってて虫博士なんて呼ばれたっけ。 

 好きな女の子とかもいて、優しくしてくれたその子が好きだった。好き好き言い合ってほっぺにキスされたことなんかがあった。小学生低学年のころまではその子が好きだった。それ以降はクラスが変わるたびに別の女の子の素敵なところ見つけては好きになってたかなぁ。この浮気者! 

 幼稚園の年長クラスになったあたりで初めてゲームを買ってもらった。ゲームボーイアドバンスベイブレードだった。あの、ゲーム難しいし作業ゲーなんだよね……

 自分の知らない世界を簡単に与えてくれるゲームが好きになったぼくは外遊びしつつ、嫌々親に習わされることになったプールに連行されつつ(たしか、野球を始めるまでやってた)も、親に言われてもゲームをやめないダメ人間になってしまいました~ 知りたいやりたい進めたいんだもん。だんだん親が妹を連れて出かけるときもゲームができるって理由でついていかなくなったんだよね。その頃は服になんて興味がなかったし、人混みは怖いし、親と何を話していいのかわからないし、孤立を順調に進めていってしまった。

 小学生になるとついにお勉強だ。頭の回転ははやいみたいで、算数が大好きで暗算が大好きだったなぁ。漢字も大好きだった。あとは理科と音楽も楽しかった。授業中によく先生に気になることを聞きまくって、またお前それかよって言われたけど、当時のぼくは無敵で、思いのままに行動してた。幸い、不良みたいな子がほとんどいない学年だったし、ぼくはヘンなやつだけど面白い人間だったらしく。その時点ではまだいじめられはしなかった。このころに好きだった女の子はいつもポニーテールで、笑顔がかわいかった。幼稚園のころの好きな先生がそういう感じだったんだよね。白斑がでるようになって、気にしてたみたいだけど、ずっとかわいかった。

 小学二年生になると、掛け算で軽くつまずきかけたけど、両親が計算カードをなくしたぼくのためにわざわざお手製で作ってくれた。あれ、なんかみんなと違って恥ずかしかったけど。気にならないようになったら逆に良かったみたいなの思った。その頃の友達がぼくと同じタイプの内気だけど優しいかわいらしい男の子だったなぁ。引っ張りまわして遊んだけど、超人気だったんだよね。あいつ、絶対モテてる。四年生のときに引っ越ししちゃったから、それ以降どうなってるのか怖くて一切連絡取ってないけどね。

 小学三四年生、この時の先生は強面の関西おばさんって感じだったんだけど、すごいぼくのこと気にかけてくれた三番目くらいに好きな先生。ぼくはなんとなくで、少年野球の見学に行かされることになった。本当になんでだったんだろう。パワプロクンポケットをやって、生でしてみたいって思った気もしなくはない。土日、何回も辞めたいと思いながら、頑張って小学生の間はつづけた。このころあたりから親がよくケンカしてたかな。全体的にほうれん草がない家庭だったのがさらにひどくなった。今思えばお金に余裕があるはずなのに、欲しいものとかは誕生日かクリスマスにしか買ってもらえなかった。年にゲームソフト日本とかです。ピクミン2は面白かったなぁ。まぁ、世界を見渡せばそれすらない子供はいっぱいいるんだけど。ぼくのまわりの人間は結構、いろいろと与えられてたからすごい羨ましかったんだよね。ぼくより酷い少年時代をおくってくれたみんな、こんぼくでごめんね。

 四年生の時に、好奇心から一瞬映ったケーブルテレビのアダルトチャンネル(騎乗位でヘンな声出しながらずんずん跳ねてるのが子供心的に面白かった)を妹と一緒にいたずら感覚で二回ほど観て(ナースものだったw 剃毛プレイがあったことしか覚えていないんだけど、エロとかは全く感じなかったし、そもそも何をしてるのかわからなかった。一瞬映ったときに、母親がやめなさいっていったから逆に観てみたかっただけ)それがクリスマス頃に発覚して、四万円くらい請求されたらしい。僕は本当に二回しか観ていなかったのに、ほとんどがぼくのせいにされたのが本当につらかった。本当のことを言ってるのに、ぼくのせいにしないでくれ。妹が観たのか、それとも継続課金の設定だったのかわからないけど。たしか、一回五百円だったとおもうんだけど。それで父親がブチ切れてパパサンタからのクリスマスプレゼントはなくなった。

 ところで、みんなはサンタさん、いつまで信じてた? 僕は低学年のころに空想は空想だって信じてた。神様もサンタさんも、目の前に現れてくれないもん。でも、信じてるフリをしてたらプレゼントが届くからって理由で手紙書いてたなぁ。ぼくがパパになって、子供とクリスマスを迎えるならクリスマスプレゼントとしてぼくからあげるんだ。最初の一回くらいはサンタさんから貰えるなんて言って夢をあげるのも良いね。察しの良い子供はわかるから、ぼくの手法が良いんじゃないかい?

 閑話休題、小学五六年生。

 五年生の先生が大好きだった。この人はかわいらしい人だったなぁ。強くは怒らないけど、ぼくのことよく見ててくれたよ。このころから学校の図書室に行くことが多くなった。それまでは歴史のマンガとかをちょっと読んでた程度だったんだけど、背伸びしたい心からハリーポッターとか読んだ。あれはずるいよね。賢者の石の救われないハリーがあんなに幸せになるのは、とても良い小説。ゴブレットで世界観が広がらなくなって、ちょっと退屈だったんだけど、不死鳥での先生への反発は面白いんだよね。悲しい事件もあるけど。謎のプリンスでほんとに悲しくなって!? 

 図書室に行くようになったぼくは、手塚治虫のマンガと出会う。ブッダとか、ブラックジャックとか火の鳥とか、ほかにも結構あったネ。エロいシーンも多くて、いけない気持ちになったっけ。ぼくはそれらを授業中に堂々と読むようになった。(ガイジ)それでもなんかテストの点はいつも良かったから先生はほうっておいてくれたんだよね。ほんとにぼく、てこでも動かなかったから。

 五年生の秋くらいから、同じ飼育委員だった本当に容姿的には地味な女の子を好きになった。まじめな子だったから男子からは揶揄われてたなぁ。ぼくはやめてあげなよってたまに言ってたけど、あまりにみんなが言うから悔しかったなぁ。クラスがニクラスしかなかったから、その子のこと好きなんてバレちゃったら大スキャンダル扱いできっと二人とも囃されてお互いに嫌い嫌いアピールしないと許されなかっただろうから仕方ないと思いたい。そのころには僕はカースト外の変な奴だったからね。学校あるあるだけど、カースト上位の人間以外はそういうの全然できないもんだよ。今ならありえないけど、実際ぼくだって、揶揄うと楽しいって理由でならいっぱい揶揄ったもん。

 六年生の頃には、その女の子と本当に仲良くなって、家が近かったから一緒にこっそり帰ったり、学校でもよく話すようになったんだけど。幸せな日々をおくってたある日、いきなりカースト外系の変な二人組の女の子に「○○ちゃん好きなん?」なんて聞かれたから、ぼくは「ふつうだよ?」ってパニくりながら答えたんだよ。その日から好きな女の子がちょっと辛辣になったんだけど、鈍感なぼくは相手がぼくのことを好きで、おそらくそういう聞き方をしたなんて思わなかったんだよね。その子、中学は受験受けるっていってたから、どうなるかもわかんなかったし、そもそも遅れてたから告白とか付き合うってよくわかんなかった。卒業式の前の前の日くらいにあの子とお別れかって思ってたら、一緒に進学して仲良くしてる夢見て泣いたっけ。小学生は終わり。このころには両親が別居してたね。だんだん母親は忙しくなって、ぼくはゲーム三昧。食う寝る遊ぶの小学生だった。

 中学生になったら、迷いつつも吹奏楽部に入った。親にはすっごいバスケとか野球やれって言われたんだけど。楽器ってのやってみたかったし、先輩がかわいかったから(どんだけ女の子好きなんだよな)トランペットを吹くことになりました。ぼくは今でもギター弾いてる感じで、「野球の練習と違って一人でできる音楽は百回やればできる」という理論を振り回して上達して、先輩にかわいがられ、先生にかわいがられ、楽しく過ごしたのを覚えてる。勉強に関してはテストって素の賢さをはかるものじゃないのか?(意味不明)な疑問をもっていたので、一切勉強せずに受けていた。しかし、根が真面目なので提出物は答えをほぼ丸写し、たまにわざと間違いを装うなどして、提出した。意味がない。平均点以下をとらなかったから、ヘンな優越感に浸ってしまった。バカ野郎! このころから携帯のiモードでインターネットをはじめる。ソシャゲが流行ったのがきっかけだった。ぼくはゲームコミュニティじゃない、ニコニコ動画2chのvipから生まれたブーン系小説というAA系の文章をよく読んで。モバゲーと連携していたE★エブリスタというサイトでよくわからないものを読んだり書いたりして交流していた。この時代のネット友達がいまだにフォロワーに一人だけいます。彼は頑張っているようでそのまま幸せをつかんでほしい。いや~ぼく落ちぶれすぎてて笑ってまうw 

 中学二年生になって、先輩にアタック撃沈、アタック撃沈。アタックなんともいえないまま自然消滅。クラブは慣れてきて、後輩も入ってきてめちゃくちゃ楽しかった。このころには両親は離婚してたかな。ママンの帰りは遅い。ご飯はない。なんかの生活が始まりだした。ぼく、学校で軽くいじめられたりして対人恐怖が始まる。遅刻すると人の視線がある→それが嫌でさぼるを繰り返し、立派な引きこもりにこのころは週に三四日は行ってた。寝過ごすとニコニコ動画で動画を流しつつ、ゲームをしたりしてた。勉強は好きだけど、その一方で大嫌いだった。死んでも教科書なんか開かなかった。開いて理解できない自分を想像したら怖かった。一人で全部やらないといけない。理解者なんていないと思っていた。寂しかった。学校をさぼってても二年生のころはまだまだ平均点くらいとれた。バカばっかりなんだなぁと思ってたバカが一番バカなんだなぁw 

 中学三年生、部活動はまじめにやってたから、トランペットはそこそこ上手かった。ただ、ぼくが前にもまして学校をさぼるもんだから、同学年の同パートの人(前述したヘンな二人組の片割れ)が仕切るようになって、ぼくはセカンドパートをやらされる。自分よりうまい人、好きな人の支えを吹くのは楽しいんだけど。自分より下手で嫌いな人間と吹いてても楽しくないんだよな。二年生の時とか、好きなホルンの先輩とユニゾンするフレーズとかすごい楽しく吹いてたもん。お互いに合わせるようにね。

 受験のことなんてわからず、母親は自分のことに必死でぼくには無関心になってたから、ぼくは自分が当時パソコンのことについて知りたいって理由でそっちけいの私立高校を選んだ。高い買い物ですよホントに。ない袖を必死で捻出してくれた。あんたの好きなことをやらせたと言うママ、ぼくはね。何を選べば良いのかすらわからなかったんだよ。本当にごめんなさい。ぼくは放っておいたら好きなほうに伸びるような優秀な種じゃない。最後のほうなんか、週に一二回の出席でしたね。ぼくは引きこもりとしても中途半端じゃないか! 

 高校生になったぼく、一回引きこもりになった関係で友達ってどうするもんなんだろうと悩んだものの、勇気を出して声をかければ普通にできて、しかもたまたま名前の順の席の近くにいた奴らと仲の良いグループを作った。順調に底辺高校ライフを満喫。九月ごろにはバイトも始めた。バイトは三か月で辞めた。疲れがたまって起きれずに、怖くなってそのままバックレた。吹奏楽を続けたかったから、入った市の楽団があった。まわりは女の子や大人ばっかりでぼっちになるも、楽器は楽しかったからよかった。しかし、何回目かの本番では遅刻したものの、中学生の頃のようになりたくない一心で行く。パートリーダーのおじさんに怒られた。個人練習付き合おうかと誘ってくれたときもあったけど、雨が降ってしまって、どうしたら良いのかわからず、電話も怖くてメールだけして力尽きたりする事件もあった。その後も練習には顔を出した。でも何回目かの本番で起きれずに寝過ごす。次はなんとかと謝罪し、メールするもまたまた緊張から寝過ごす。ぼくはもう何もできないんじゃないかと思い。バックレた。本当に前向きな挑戦が一人では悉く失敗する。その数か月後には最初のグループからハブにされ、ぼくは高校からもフェードアウトした。あの視線の数々が堪らなく嫌だった。一年生の冬に引きこもり、二年生になんとか進級するも五月からは通わなくなった。留年が決まったのがその冬。学校の人間関係がつらいことを打ち明け、編入。二回目の二年生はおんぼろPCでネトゲ三昧。平均して一日十一時間プレイした。一年遅れの三年生になったころにPCが壊れ、ぼくは携帯でもできるツイッターを始めた。

 ハチスちゃんという仮面を剥いだぼくはただのダメ人間なことを誰かに知っておいてもらいたい一心でここまで書いた。各時点で思っていたことや、思うことなどあるので、追記するか、パート2というような形で続けてみても良い気はする。とりあえずで、こんな闇がつまった記事を書いてしまい、簡単に公開して人からの意見を求めるあたり、僕はメンヘラなのである。

 本当に各段落で投げたものが投げっぱなしになっていて申し訳ない。

 もし、リアル関係の人がこの記事を観た場合、何も言わずに知らないふりをしていてほしい。

 こんなどうでも良い文章を読んでくれてありがとう。酷い自慰だ